2006年6月21日水曜日

ドイツ・ツアーwith橋本一子Ub-X

mita

2006.5.18~25

2005年2月頃、橋本一子さんとアルバムを作ろうという計画をしていたときに、同時に海外での活動を目指したいというのは両者の共通の目標だった。 そしてその年10月からのレコーディングを控えた9月下旬の或る日、突然嘗て当社に所属していた渡辺圭介君からメールを貰った。
彼は当社を退社した後ドイツに渡っていたのだが、なんと6月にデュッセルドルフの総領事館に就職していて、そこで毎年行われる「日本デー」に日本からアーティストを呼びたいのだが協力して欲しいという話だった。
正に渡りに船。早速、橋本一子のグループはどうかと折衝し、橋本一子Ub-X(橋本一子(P)、井野信義(B)、藤本敦夫(Ds))の出演が決定。他 にケルンとベルリンでも公演が決まった。ケルンでは八木美知依さん(箏)、デュッセルドルフでは更に白河直子さん(ダンス)も加わるという形でのドイツ・ ツアーは、上記出演者に加えマーク・ラパポートさんと当社から三田晴夫、中村満幸という総勢8名。



5月18日:ケルン到着後早速文化会館の方達と夕食会。美味しいイタリアンでした。
5月19日:ケルン日本文化会館では当日は予定していなかった白河さんが飛び入りで参加して下さり、まずはお披露目。予算の都合で音響エンジニアを同 行しなかったのが祟って、なかなか思うようなサウンドにならず、ややフラストレーションがたまり気味。休憩を挟み2部からはなんとか持ち直し無事終了。会 館での打ち上げ後、チャーターバスでデュッセルドルフへ。



5月20日:前日から話は出ていたが、なんとこの時期ドイツでは珍しい台風来襲。朝の10時には中止の決定。メンバー、スタッフ共声も出ない状態。
同じく日本から駆け付けた円道一世さんのグループはデュッセルドルフのためだけにドイツ入りしたとの事で、なんともやりきれない様子。我々は前夜ケル ンの公演があり、Ub-Xと三田の4名はその後ベルリンのライブも入っていたのでまだ良かったとは云うものの、諦めきれない気持ちは同じこと。 一部のメンバーは降ったり止んだりの天気の中、床のみが残されているステージと折畳まれた模擬店用のテントとを尻目に、これだったらやれるんじゃない!と 何度も言ってみるものの、中止の事実は変わらない。実際雨はまだしも、時々強い風が吹き抜ける。
5月21日:昼食に総領事館の招きでドイツ料理をご馳走になった。美味しい料理を楽しませてもらったものの、どうしても残念会的な雰囲気で今ひとつ盛り上がらず。
その夜はデュッセルドルフから程近いヴッパタールという街を拠点にしているダンス・カンパニー、ビナ・バウシュの舞踊団の公演がその本拠地であり、全 員で鑑賞する。今回のUb-Xのベルリンでのライブのコーディネイトをやってくださった青木淑子さんが、たまたまビナ・バウシュや団員の人たちと懇意で、 僕自身ファンであった事、そして今回はダンサーの白河さんも同行しているということで、みんなで行くことになった次第。



5月22日:Ub-Xと三田の4名はベルリンに向かい、他のメンバーは帰国の途に。その夜早速、B-flatというライブハウスでの公演。ドイツでは CDの発売も無くなかなか集客は難しかったものの、演奏は素晴らしく、少ない観客の中にはかなり良い感じのノリをしている人も。お客さんの反応が正直と言 われるドイツで、この人数としては良いムードにメンバーも気を良くした様子。最後に溜飲を下げた形で大満足でした。
5月23日:この日はオフで、ベルリンで活躍しているジャズ・ピアニスト高瀬アキさんのお宅にお呼ばれ。体調を崩してホテル待機になった藤本氏を残し 三人で伺った。アキさんとは三者三様、それぞれお付き合いもあり、ドイツでの競演も多かった井野さんは兎も角として、一子さんと僕は本当に懐かしさで一 杯。アキさんはこの日まで自分のバンドのツアーがあり急遽戻って頂いたこともあり、ご主人のドイツ・ジャズ界の大御所でピアニストのシュリッペン・バッハ さんが手料理を作ってくださった。お母様の故郷ハンガリーの田舎料理、ハンガリアン・グーラッシュという牛肉の煮込みにジャガイモをすり潰して野球のボー ルほどの団子にしたものを入れた物。これはホント美味しかったです(ドイツ・ツアーでNo.1でした)。
5月24日:ベルリンを出発、帰国の途に。

ケルンの日本文化会館の方々、デュッセルドルフの総領事館の方々、ベルリンのコーディネイトばかりかビナ・バウシュのチケットまで手配して頂いた青木 淑子さん、お忙しい中最高の御もてなしをして下さった高瀬アキさんとシュリッペン・バッハさん、そしてこのツアーの切っ掛けを作ってくれて、現地でも様々 な難題に対処してくれた渡辺君と奥様のアンドレアさん、本当に有難うございました。

2006年4月20日木曜日

20周年パーティー

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2006.4.4 



ついにスーパーボーイ20周年記念パーティの日がやってきました。
実際には2005年12月を以って丸20年で、この時すでに21年目に突入しています。
いやー、よくぞここまで会社が持ったなという方が大勢いらっしゃると思います。

会場は原宿ブルー・ジェイ・ウェイ。
19時の開宴の少し前から本パーティの為にベースの水谷さんがピックアップして下さった諸戸勝也さん(P)、よしみせいいちさん(B)、水口泰邦さん (Ds)のピアノ・トリオのジャズが場内の雰囲気を作ってムードが高まった後、我らがパーティには毎度お馴染みの司会役中原仁さんが登場し、パーティが開 催されました。
続いては、これまたお馴染みの岩神六平さんの挨拶と乾杯。
後は呑んで食べて様々なミュージシャンの飛び入りライブで皆さんに楽しんでいただこうという趣向。

その後は以下のミュージシャンの方々が次々とステージに上がって下さり、沢山の演奏、歌のプレゼントを頂きました。

高津哲也さん、倉本将之さん、河井英里さん、シトロバルさん、鮎川麻弥さん、Ub-X(橋本一子さん、井野信義さん、藤本敦夫さん)、藤井一彦さん、梅津 和時さん、松本治さん、水谷浩章さん、eEYOさん、鬼怒無月さん、鈴木朋さん、shezooさん、菅井えりさん、大野えりさん、北京一さん、みなさん本 当に有難うございました。

なお、私の故郷尾道を拠点に活動しているソウル・シンガーの筒井賢さんも、上田正樹さんとのジョイント・コンサートの打ち合わせのため上京していた本当に僅かな時間の中、わざわざ顔を出して下さいました。有難うございました。

前回の10周年の時にも大勢のミュージシャンの方たちが次々とステージで演奏を繰り広げ、会を盛り上げて下さいました。
こういう素敵なミュージシャンの方々に支えられて20年間を無事会社を続けてくる事ができたと思います。

また、このパーティの開催にあたりスタッフとしてお手伝い頂いた皆様、お忙しい中駆け付けて出席して頂いた皆様、本当に有難うございました。

我々も、今度は30周年パーティを目指し、次なる10年を頑張る事が出来そうです。 今後とも皆様宜しくお願い致します。

2006年2月22日水曜日

2006/02/22

mita

昨年12月を以って当社 20周年となり、現在21年目を迎えています。
来る4月初旬、これを記念してライブハウスを借り切って、大々的なパーティを予定しています。

思えば10年前の10周年パーティでは、南青山まんだらを借り切って行ない、12月の忙しいさなか沢山の方々に集まって頂きました。
特に山下洋輔さん、渋谷毅さん、本多俊之さん、かの香織さん、おおたか静流さん、上野洋子さんなどなど、様々なミュージシャンが入れ替わり立ち代りステージで演奏を繰り広げて頂き、本当に感激いたしました。

今回も沢山のミュージシャンが盛り上げてくれることを期待しつつただいま準備中です。

パーティのご報告は本HPにて掲載します。

10周年パーティーの際に作った案内状はコチラ

2006年1月31日火曜日

着うた配信

mita

過去にプロデュースしたCM音楽の一部が、2006年1月25日から着うたとして配信が始まりました。(参照)
白鳥英美子(元トワエモワ)と岡崎律子(一昨年若くして急死したシンガーソングライターでアニメの主題歌も歌っていたので、未だに根強いファンがいます)に歌ってもらった、元々クラシックのメロディをアレンジしたものです。

20年近く前、知人が持っていた箱型ショルダー式の携帯電話を初めて見て羨ましくて仕方がなかったのを思い出します。 それは肩にずしりと来る重さで、都内で掛けるときには2階の喫茶店の窓ガラス側に陣取りやっと通じるような代物で、なにやら007の様なスパイ映画を彷彿とさせるワクワクする気分でした。。

それから数年後日本で初の携帯電話のCMの音楽を自分が担当する事になりました。 NTT DoCoMo関東エリア向け(通信会社はエリアごとに分割されていてCMも地域によって異なります。地域によっては関東エリアのものを使っている場合もあるので、地方の人も見た事はあるかも知れません。)の宅間伸扮する島耕作シリーズで、2年間担当しました。

その時はまず極端に小さくなった電話機に驚きましたが、今あらためてCMを見てもっと驚くのは、通信エリアの狭い事。 「東名阪へエリア拡大・予告」というキャッチフレーズで、CMに表れる地図にはほんの都市部しかカバーしていません。 あれから12年で携帯電話というものがすっかり変化しました。 メール、カメラ、インターネット、動画、着メロ、着うた。 その着うたに同じ頃当社で作った音楽が配信されるようになるとは。。。

当社の着うたは今はまだ4アイテムしかありませんが、今後少しづつ増やしていく予定です。 あまり更新しないホームページですが、たまに見てもらえれば、増えた楽曲はinfomationで見れるようにしたいと思います。

乞うご期待!

2004年11月27日土曜日

楽天と堀江家

mita

丸秘写真掲載(東京都下某霊園にて筆者撮影)
 近鉄球団買収合戦がここにも。。。
2004年秋撮影した本写真を知人・友人に送ったところ大きな反響を頂きました。特にジャズ・ピアニスト山下洋輔さんのノリは素晴らしく、早速スポーツ・ライターの玉木正之さんに転送し、これまた物凄いノリで喜んで下さり、玉木さんのホームページhttp://www.tamakimasayuki.com/index.htmで現在も掲載中。(TOP PAGE下段の「タマキのオススメごちゃまぜ総集編/2004年下半期)

クリックして拡大でどうぞ!

2003年8月5日火曜日

「レコード買ってます

nk

shades of blue
madlib
90年代の初めからルートパック等のグループで活 躍し、現在では西海岸の最重要プロデューサーの一人であるマッドリブが本人名義でリリースしたアルバム。全曲ブルーノート音源のカバーないしオマージュ で、ジャケ裏には事細かにオリジナルのクレジットがあり、泣ける企画モノ。奇をてらった作風が何かと評判の彼ですが、聴くたびに感動するのはファットでロ ウな彼独特のサウンド・プロダクションであり、この作品もただの企画モノに終わらせぬマッドリブ節炸裂。


GoodBye Swing Time
The Matthew Herbert Big band
イギリスが生んだ偉大なる変態。ミュゼでのインタ ビューが面白すぎて感激を覚えたが、アルバムの内容も感動につぐ感動。マイク・ウェストブルックやニール・アードレイなどに通じるイギリスらしいビッグバ ンド・スタイル、それだけでも今時リスナーには十分スリリングだが、彼もマッドリブと同様に自身の業を作中に遺憾なく発揮してしまうタイプで、決して過去 の焼き直しなどではなく、誰かの真似事でもなく、「やっぱハーバートだな~」とアホ面下げて泣き崩れてしまう馬鹿がここに一人。


Endless game of Cat and Mouse
The Warehouse
ジャケットがアレだったことに先ずドキッ、これで 中身がアレだったら怒るぞと思いつつ聴き始めると心底ドッキリ。横浜で初めて見たライブはあまりの衝撃に笑いが止まらず、その勢いで友人と私が主催する某 イベントに出演を頼んでしまった程で、その節はご迷惑お掛けしました。カンタベリー・マナーと言うか、リコメン・マナーと言うか、そういったややもすると 過剰になりがちなスタイルを、非常にコンテンポラリーにさらっと分かり易く、そこはやはりユーモアと毒っ気は忘れずになスタイルで、ただでは転ばぬ音像。 東京的な音だと思いますた。


s/t
Morning Star
イギリスのヒッピー・バンド、ムーンフラワーズの メンバー、ジェシ・バーノンのソロ作より。地元ブリストルのジャズ系ミュージシャンがバックをつとめ、ブラジル、カントリー等の要素も詰め込みつつ何とも イギリス的ローファイ・ソフト・アシッド・フォークな趣は、危険な香りがプンプンで、その手の音が好きな人なら即OK。何とも素朴な歌声と、ひねた楽曲が ステキね。


s/t
Rooney
ユニバーサルのニューリリース・サンプラーに収録 された一曲を聴いたとき、「なんじゃこりゃ、パイロットか?」と思いクレジットを見ると以外にもL.A.出身とのことで。アルバムを通して聴くとナルホド なアメリカっぽさと意外にストレートな曲の多さにちょっと拍子抜けしましたが、まぁイカすパワーポップじゃないかと納得。まぁファーストだしこれからド ロッとなるかカラッとなるかで評価が分かれますな。


LIFE
Cardigans
今更ながらのカーディガンズですが、違うのです。 ようやくアナログ盤でゲッツしたので嬉しいのです。長いこと探しておりましたので、店頭で発見したときは泣きそうになった。内容もCDと異なっていて聴い たこと無い曲もあり嬉しいが、収録曲の粒の揃い方はCDの方が上でトホホ。お気に入りはやはりファースト収録曲Sick and tired。タンバリンスタジオのこの音に感激。


I Trawl The Megahertz
Paddy Mcaloon
待望のソロ作、しかしパディは唄ってない、プレイ してない。それでも世界に一億人はいると言われるプリファブ・ファンには待望としか言いようの無い一枚なのです。失明の危機に怯え、作曲することもままな らない男の悲しみが、せつなさが、聴くもののハートに熱くアタックします。パディのファンじゃない人にとっては、アレかもしれませんが。今更音楽的説明な ぞできますか。


LOVE TURNS YOU UPSIDE DOWN
EDWIN MOSES
スペインはシエスタからの二枚目。一聴してスタカン節をビンビンに感じ苦笑いすること必死ですが、とても愉快でヤング感溢れるなブルー・アイド・ソウルですわ。全編に華麗なストリングスやホーンを配し、似非っぽくゴージャスなのもステキですわ。


SMALL PIECES LOOSELY JOINED
VERT
ケルン出身の冴えない男の三枚目のアルバム。音響 派とかエレクトロニカとかに懐疑的な私ですが、この男は意外と昔堅気なヤツで、ただ普通にニカニカしてるだけでなく、もう少しアコースティックなアンサン ブルを重視しながら、ZNRとかあの周辺に近づきつつ微妙にニカした音を作っていてニクイです。


THEY GOTTA QUIT KICKING MY DOG AROUND
TERRY HALL&MUSHTAG OMAR
おお!愛しのテリー!何をしていたのだい?と突如 リリースされた謎シングル。リリース元は話題になったカリプソ・コンピ「LONDON IS THE PLACE FOR ME」をリリースしていたロンドンのレコ屋。フラメンコギター、クラリネット、バイオリン等をフューチャーした非常に謎度溢れるエスニック・ブレイクビー ツ。


突如レコード・レビューを掲載したのは、自身の新譜をあまりに買わない怠慢っぷりを戒めるためです。これからは毎月新譜を十枚アップします。新譜買うぞ。しかし一回目にしてニューエストではない盤もチラホラと見当たりますが、そのあたりはご愛嬌で許してください。

2003年7月29日火曜日

尾道“水祭り”


mita

先日友人の川口等くんと交わしたメールのやりとりでちょっとしたお話を。

その前に少しばかり、僕の生まれた町のことを説明しておきます。

僕が生まれ育ったのは、広島の尾道という小さな市です。 中心部は山と海の間に東西に延びた、猫の額のように細長い町です。 そのど真ん中を駅から東に向かってアーケードが続いていますが、その切れ目の角を 海側に折れた少し下り坂の小さな短い通りを「水尾町」といいます。 尾道の海に向かう通りで「水尾町」…なかなか良い名前でしょ。 ここはお茶屋さんや、造り酢やさん、畳屋さんなどがある静かな通りです。 その通りの端に僕の生家があります。

その僕の生家がある四つ角を上に見上げると、「千日前」(勿論、大阪を真似てるん です)と書かれた小さなアーチが掛かっています。 ここを左に曲がるとすぐに、いわゆる色街が続くわけです。 僕が小さいころには、ほんの50米ほどの所に映画館、パチンコ屋、そして色街に集まる 人のための自転車預かり屋さんが沢山密集していました。 映画館は東映、日活、東宝、大映が集まり(何故か松竹だけが他の場所にありました) 、当時は連日立ち見客で賑わっていました。 そしてその一郭を過ぎると、今度は星の数ほどの小さな飲み屋が並んでいます。 現在は自転車預かり屋は勿論のこと、映画館もパチンコ屋も全て無くなってしまいました。 その代わり飲み屋だけは相変わらず無数にあり、その多くはカラオケ・バーになっていま す。

こんなアーケードの掛かる商店街と色街とを繋ぐ静かな通り水尾町で、近ごろ『水祭 り』という極々小さなお祭りがありました。これにたまたま僕の友人が行きそのとき のことをレポートしてくれました。

以下は友人のメールとそれに返事した僕のメールです。


~(等)~

土曜日は水尾町の水祭りだというので、
仕事を終えバイクに乗って写真を撮りに行ってきた。
新聞によると今年は水祭り復活15周年とかで、
特に力を入れたという話。

去年始めていった行ったときには、
水尾町の通りに人形が飾ってあるのを知らなくて
熊野神社の方しか行かなかったのだが、
今回は、通りの飾りをしっかりと見てきた。

写真を見てのとおりずいぶんと手の込んだ造り、
いずれの人形もからくり人形となっていて、動きがあり
水祭りの名前の通り、写真では分かり難いが
人形の何処かから水が一筋もしくは二筋
飛び出す仕掛けになっている。

この日は天神さんの祭りもやっていて、
水祭りを見た後、御袖天満宮にも廻ってみたのだが、
祭りはやってても神輿は見えなかった。

ひょっとすると前の日に済んだのかも知れない?
それとも今日の日曜日が神輿の日だったのだろうか?

土曜日の午前中に激しい雨が降って、その後急速に回復したので、
あれが梅雨の最後の雨で、もう梅雨も上がるかと思ったのだが、
今日も午後から雲が出てきて、どうもそうではないらしい。

取りあえず水祭りの報告でした。


~(僕)~

水祭りというのは、実は、うちのお爺さんがやっていたものなんだ。
人形やそこから水が出てくる仕掛けやらすべてうちのお爺さんが作っていた。
一説によるとその親父(つまり僕の曽祖父)もやっていたという話もある。
勿論僕は一度も見たことはなく、水祭りという言葉を聞いたのは、確か
高校の終わり頃が初めてだった。

大阪万博を記念してその前年から「万国びっくりショー」(八木治郎アナウンサー司
  会)というテレビ番組があったが、そのときその番組からうちのお爺さんに、水
祭りを番組で再現して欲しいという依頼があった。
お爺さんは「もう当時の人形は残っていないし、苦労して再現しても、
今時、人形からただ水が出るだけでは面白くも何ともない。」と断ったそうだ。
そのときに初めて水祭りのことを親父から教えてもらった。


それから随分時が経って…等さんの話によると今年が15周年ということだから16
年前ということになるのだろうか…親父から「水祭り用の人形の顔を探したいの
で上京していろんな人形屋を見て周りたい。」といってきた。
何やら久々に水祭りを復活させたいということになって、そのときに実際に作っていた
僕のお爺さんの子供ということで、親父に白羽の矢がたったという事だった。
実際親父は子供の頃手伝っていたらしく、この細工を知る人は他にはいなかったらしい。
親父は当時の事を思い浮かべながら関係者にアドバイスをし、特に人形
の「顔」にこだわり自ら東京の人形屋さんを訪ね歩いたというわけだ。
いろいろ苦労の末完成し第一回目を無事開催したという話は聞いたが、その後は
そのイベントを仕切る若い人たちと、どこまでも職人肌の親父とはなかなか
意見が合わず、ついに親父はフェイド・アウトとあいなったらしい。

君から水祭りの話を聞くというのは不思議な気分で、当の三田家の僕は見たこともない。

       せめて尾道の友人にこのことを伝聞して欲しいと思う。