2003年8月5日火曜日

「レコード買ってます

nk

shades of blue
madlib
90年代の初めからルートパック等のグループで活 躍し、現在では西海岸の最重要プロデューサーの一人であるマッドリブが本人名義でリリースしたアルバム。全曲ブルーノート音源のカバーないしオマージュ で、ジャケ裏には事細かにオリジナルのクレジットがあり、泣ける企画モノ。奇をてらった作風が何かと評判の彼ですが、聴くたびに感動するのはファットでロ ウな彼独特のサウンド・プロダクションであり、この作品もただの企画モノに終わらせぬマッドリブ節炸裂。


GoodBye Swing Time
The Matthew Herbert Big band
イギリスが生んだ偉大なる変態。ミュゼでのインタ ビューが面白すぎて感激を覚えたが、アルバムの内容も感動につぐ感動。マイク・ウェストブルックやニール・アードレイなどに通じるイギリスらしいビッグバ ンド・スタイル、それだけでも今時リスナーには十分スリリングだが、彼もマッドリブと同様に自身の業を作中に遺憾なく発揮してしまうタイプで、決して過去 の焼き直しなどではなく、誰かの真似事でもなく、「やっぱハーバートだな~」とアホ面下げて泣き崩れてしまう馬鹿がここに一人。


Endless game of Cat and Mouse
The Warehouse
ジャケットがアレだったことに先ずドキッ、これで 中身がアレだったら怒るぞと思いつつ聴き始めると心底ドッキリ。横浜で初めて見たライブはあまりの衝撃に笑いが止まらず、その勢いで友人と私が主催する某 イベントに出演を頼んでしまった程で、その節はご迷惑お掛けしました。カンタベリー・マナーと言うか、リコメン・マナーと言うか、そういったややもすると 過剰になりがちなスタイルを、非常にコンテンポラリーにさらっと分かり易く、そこはやはりユーモアと毒っ気は忘れずになスタイルで、ただでは転ばぬ音像。 東京的な音だと思いますた。


s/t
Morning Star
イギリスのヒッピー・バンド、ムーンフラワーズの メンバー、ジェシ・バーノンのソロ作より。地元ブリストルのジャズ系ミュージシャンがバックをつとめ、ブラジル、カントリー等の要素も詰め込みつつ何とも イギリス的ローファイ・ソフト・アシッド・フォークな趣は、危険な香りがプンプンで、その手の音が好きな人なら即OK。何とも素朴な歌声と、ひねた楽曲が ステキね。


s/t
Rooney
ユニバーサルのニューリリース・サンプラーに収録 された一曲を聴いたとき、「なんじゃこりゃ、パイロットか?」と思いクレジットを見ると以外にもL.A.出身とのことで。アルバムを通して聴くとナルホド なアメリカっぽさと意外にストレートな曲の多さにちょっと拍子抜けしましたが、まぁイカすパワーポップじゃないかと納得。まぁファーストだしこれからド ロッとなるかカラッとなるかで評価が分かれますな。


LIFE
Cardigans
今更ながらのカーディガンズですが、違うのです。 ようやくアナログ盤でゲッツしたので嬉しいのです。長いこと探しておりましたので、店頭で発見したときは泣きそうになった。内容もCDと異なっていて聴い たこと無い曲もあり嬉しいが、収録曲の粒の揃い方はCDの方が上でトホホ。お気に入りはやはりファースト収録曲Sick and tired。タンバリンスタジオのこの音に感激。


I Trawl The Megahertz
Paddy Mcaloon
待望のソロ作、しかしパディは唄ってない、プレイ してない。それでも世界に一億人はいると言われるプリファブ・ファンには待望としか言いようの無い一枚なのです。失明の危機に怯え、作曲することもままな らない男の悲しみが、せつなさが、聴くもののハートに熱くアタックします。パディのファンじゃない人にとっては、アレかもしれませんが。今更音楽的説明な ぞできますか。


LOVE TURNS YOU UPSIDE DOWN
EDWIN MOSES
スペインはシエスタからの二枚目。一聴してスタカン節をビンビンに感じ苦笑いすること必死ですが、とても愉快でヤング感溢れるなブルー・アイド・ソウルですわ。全編に華麗なストリングスやホーンを配し、似非っぽくゴージャスなのもステキですわ。


SMALL PIECES LOOSELY JOINED
VERT
ケルン出身の冴えない男の三枚目のアルバム。音響 派とかエレクトロニカとかに懐疑的な私ですが、この男は意外と昔堅気なヤツで、ただ普通にニカニカしてるだけでなく、もう少しアコースティックなアンサン ブルを重視しながら、ZNRとかあの周辺に近づきつつ微妙にニカした音を作っていてニクイです。


THEY GOTTA QUIT KICKING MY DOG AROUND
TERRY HALL&MUSHTAG OMAR
おお!愛しのテリー!何をしていたのだい?と突如 リリースされた謎シングル。リリース元は話題になったカリプソ・コンピ「LONDON IS THE PLACE FOR ME」をリリースしていたロンドンのレコ屋。フラメンコギター、クラリネット、バイオリン等をフューチャーした非常に謎度溢れるエスニック・ブレイクビー ツ。


突如レコード・レビューを掲載したのは、自身の新譜をあまりに買わない怠慢っぷりを戒めるためです。これからは毎月新譜を十枚アップします。新譜買うぞ。しかし一回目にしてニューエストではない盤もチラホラと見当たりますが、そのあたりはご愛嬌で許してください。

2003年7月29日火曜日

尾道“水祭り”


mita

先日友人の川口等くんと交わしたメールのやりとりでちょっとしたお話を。

その前に少しばかり、僕の生まれた町のことを説明しておきます。

僕が生まれ育ったのは、広島の尾道という小さな市です。 中心部は山と海の間に東西に延びた、猫の額のように細長い町です。 そのど真ん中を駅から東に向かってアーケードが続いていますが、その切れ目の角を 海側に折れた少し下り坂の小さな短い通りを「水尾町」といいます。 尾道の海に向かう通りで「水尾町」…なかなか良い名前でしょ。 ここはお茶屋さんや、造り酢やさん、畳屋さんなどがある静かな通りです。 その通りの端に僕の生家があります。

その僕の生家がある四つ角を上に見上げると、「千日前」(勿論、大阪を真似てるん です)と書かれた小さなアーチが掛かっています。 ここを左に曲がるとすぐに、いわゆる色街が続くわけです。 僕が小さいころには、ほんの50米ほどの所に映画館、パチンコ屋、そして色街に集まる 人のための自転車預かり屋さんが沢山密集していました。 映画館は東映、日活、東宝、大映が集まり(何故か松竹だけが他の場所にありました) 、当時は連日立ち見客で賑わっていました。 そしてその一郭を過ぎると、今度は星の数ほどの小さな飲み屋が並んでいます。 現在は自転車預かり屋は勿論のこと、映画館もパチンコ屋も全て無くなってしまいました。 その代わり飲み屋だけは相変わらず無数にあり、その多くはカラオケ・バーになっていま す。

こんなアーケードの掛かる商店街と色街とを繋ぐ静かな通り水尾町で、近ごろ『水祭 り』という極々小さなお祭りがありました。これにたまたま僕の友人が行きそのとき のことをレポートしてくれました。

以下は友人のメールとそれに返事した僕のメールです。


~(等)~

土曜日は水尾町の水祭りだというので、
仕事を終えバイクに乗って写真を撮りに行ってきた。
新聞によると今年は水祭り復活15周年とかで、
特に力を入れたという話。

去年始めていった行ったときには、
水尾町の通りに人形が飾ってあるのを知らなくて
熊野神社の方しか行かなかったのだが、
今回は、通りの飾りをしっかりと見てきた。

写真を見てのとおりずいぶんと手の込んだ造り、
いずれの人形もからくり人形となっていて、動きがあり
水祭りの名前の通り、写真では分かり難いが
人形の何処かから水が一筋もしくは二筋
飛び出す仕掛けになっている。

この日は天神さんの祭りもやっていて、
水祭りを見た後、御袖天満宮にも廻ってみたのだが、
祭りはやってても神輿は見えなかった。

ひょっとすると前の日に済んだのかも知れない?
それとも今日の日曜日が神輿の日だったのだろうか?

土曜日の午前中に激しい雨が降って、その後急速に回復したので、
あれが梅雨の最後の雨で、もう梅雨も上がるかと思ったのだが、
今日も午後から雲が出てきて、どうもそうではないらしい。

取りあえず水祭りの報告でした。


~(僕)~

水祭りというのは、実は、うちのお爺さんがやっていたものなんだ。
人形やそこから水が出てくる仕掛けやらすべてうちのお爺さんが作っていた。
一説によるとその親父(つまり僕の曽祖父)もやっていたという話もある。
勿論僕は一度も見たことはなく、水祭りという言葉を聞いたのは、確か
高校の終わり頃が初めてだった。

大阪万博を記念してその前年から「万国びっくりショー」(八木治郎アナウンサー司
  会)というテレビ番組があったが、そのときその番組からうちのお爺さんに、水
祭りを番組で再現して欲しいという依頼があった。
お爺さんは「もう当時の人形は残っていないし、苦労して再現しても、
今時、人形からただ水が出るだけでは面白くも何ともない。」と断ったそうだ。
そのときに初めて水祭りのことを親父から教えてもらった。


それから随分時が経って…等さんの話によると今年が15周年ということだから16
年前ということになるのだろうか…親父から「水祭り用の人形の顔を探したいの
で上京していろんな人形屋を見て周りたい。」といってきた。
何やら久々に水祭りを復活させたいということになって、そのときに実際に作っていた
僕のお爺さんの子供ということで、親父に白羽の矢がたったという事だった。
実際親父は子供の頃手伝っていたらしく、この細工を知る人は他にはいなかったらしい。
親父は当時の事を思い浮かべながら関係者にアドバイスをし、特に人形
の「顔」にこだわり自ら東京の人形屋さんを訪ね歩いたというわけだ。
いろいろ苦労の末完成し第一回目を無事開催したという話は聞いたが、その後は
そのイベントを仕切る若い人たちと、どこまでも職人肌の親父とはなかなか
意見が合わず、ついに親父はフェイド・アウトとあいなったらしい。

君から水祭りの話を聞くというのは不思議な気分で、当の三田家の僕は見たこともない。

       せめて尾道の友人にこのことを伝聞して欲しいと思う。