2011年7月15日金曜日

南米ツアー決定!!



 4月27日、当社レーベルのアーティストの民謡の木津茂理から連絡があり、なんと、
「この度国際交流基金の主催・企画制作で9月から南米ツアーに行くことになったが、ついては三田さんに音楽プロデューサー兼舞台監督として同行して欲しい。」
「国はチリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルの4カ国で8公演、ブラジルはリオとサンパウロの2都市でやります。」
とのこと。
 な、南米!これまでいつか行きたいと思いながら、とうてい行く機会は無いだろうと半ば諦めていたが、なんという幸運。
「行く、行く。」
と飛びついたが、聞けば9/12~10/5まで24日間の長旅。しかも、この期間は前述のやはり当社レーベルのアーティストのギラ・ジルカの新譜リリースが9/21で、この日はリリース・ライブとして新宿ピットインもブッキングしている(それに孫の恭平君の誕生日!…関係ないか。。。)。更に、僕が必ずしも日本の民謡や南米音楽を熟知している訳でもなく、また舞台監督という役割も僕に相応しいかどうか。その辺りの不安を茂理ちゃんには話したが、
「大丈夫。もう交流基金の方には推薦して了解を得ているので、日程さえ大丈夫なら是非お願いしたい。」
ってんで、すっかりその気になり制作協力という形で受けさせて頂く事になった。

 交流基金の前田佳子さんには一度お会いしているが、お仕事は初めて。前田さんは、若手のホープと目されている通り、何事にもきっちりされていて、且つ今回の南米公演には並々ならぬ情熱を持って望んでいるということがひしひしと伝わってきて、負けないようにしないと、とあらためて褌を締め直す。
 まずは、茂理ちゃんを中心にした日本側のメンバーの選定と各国のゲスト・ミュージシャンの選定の打ち合わせから始まった。先に決まっていた人も含めて、茂理ちゃんの他に、津軽三味線の澤田勝秋師匠(この二人とは2008年にドイツ&イタリア・ツアーでご一緒した)の大和民謡、それに沖縄から大工哲弘・大工苗子の八重山民謡。そして前半戦のチリ・アルゼンチンに参加のヴァイオリンの太田恵資、後半戦のウルグアイ・ブラジルには澤田勝春のメンバー。
 迎え撃つ各国のゲストとして、チリでは、日本でも公演をしている歌姫フランチェスカ・アンカローラとミュージシャン2名。そして、チリの2日目には更に大御所のホセ・セベスとエリザベス・モリスが加わり、5対5の共演・競演となる。アルゼンチンは、当初太田と僕が推薦のリリアナ・エレーロと交渉して頂いていたが、日程的に断念。大使館の推薦で唄とギターのSuna Rochaに決定。ブラジルは、リオでは諸事情のためゲストはなし(残念!)、サンパウロではギタリストが加わってくれる予定。

 24日間で8公演ということで大名旅行かなんて思うのは早合点、結構移動や下見それに途中ワークショップの1日も入り、なかなかの強行軍のようだ。また出発までの諸々の準備も、殆どの公演がそれぞれ出演者や会場が違っておりプログラムも日替わりでなかなか簡単ではない。
 出演者は世界で活躍するベテラン揃いで、プレッシャーも大きいが、やはり楽しみの方が遥かに大きい。

 帰国後には諸々レポートを投稿したいと思います。

 本公演の詳細については、国際交流基金のHPをご覧ください。
 http://www.jpf.go.jp/j/culture/new/1109/09-02.html

2011年7月15日 三田

2011年7月12日火曜日

ギラ・ジルカ2ndアルバム完成!!





 

 昨年10/20にリリースされたジャズ・ヴォーカリストのギラ・ジルカの1stアルバム「all Me」はその歌唱力、完成度、斬新なサウンドで、多くのジャズ関係者・リスナーを仰天させたが、その賞賛の余波も残るこの4月には、あらたな一歩を踏み出すべく2ndアルバムのレコーディングに入っていた。
 前作同様ギターの竹中俊二のサウンド・プロデュースの元、前作には入っていなかったピアノやベースがほぼ全曲に加わり、更にジャズ感覚を増している。他のメンバーは中島徹(ピアノ)、コモブチキイチロウ(アコースティック・ベース)、岡部洋一(パーカッション)。そしてゲストとして、菊地成孔との共演やエッセイ集の発表も話題の南博(ピアノ)、前作でもギラとの素晴らしいコンビネーションが好評だった矢幅歩(ヴォーカル)がそれぞれ一曲ずつ参加、アルバムに華を添えている。12曲中5曲がギラ自らのオリジナル・ソングで、いずれも驚くほどの名曲揃い。ソングライターとしての真価も発揮している。












 レコーディングは、二子玉川の静かな住宅地にたたずむスタジオSOUND DALIに於いて6日間に亘ってじっくりと進められた。
 前作よりも良いものをという気持ちは、ギラもサウンド・プロデュースの竹中も、プロデュース&ディレクションの僕も思いはみな同じ。そのプレッシャーと新しいものに挑戦する喜びとが混ざり合いながら初日は、ヴォーカルとギターのデュオの収録で始まった。
 2日目は、初日の曲の一部にベースとパーカッションのダビングから始まり、そして1曲だけ特別参加の南博(ピアノ)のスタジオ入りを待ち、ギラ=南の手によるオリジナル「appearance」を録音。南の素晴らしいメロディーと彼特有の浮遊感のあるピアノ・プレイが他のメンバーを触発し、素晴らしいテイクに。
 午後にはその南博に替わって大阪から参加の中島徹(ピアノ)を加えたカルテットで、一気にアルバムの約半分を録音夕方には予定の曲を録り終える。特にアコースティック・ベースのコモブチは、自分の音がこれまでで一番良い音をしていて気分良くプレイできたとエンジニアの橋本氏に感謝。
 この辺りには、今回のアルバムが相当手応えがある内容と確信し、既に9月のリリースが待ち遠しくて仕方がない。
 3日目は、同じメンバーで残りの曲と手直しで、ギラ及び竹中以外のメンバーはお疲れ様。4日目から唄やコーラス及びギターのダビング。ダビングの日の1日、ギラとのコンビネーションが評判の男性ヴォーカル矢幅歩が1曲特別参加。そしてミキシングへと続いていく。





 ミキシングの最終日、たまたま細野晴臣さんのブレインでもある東榮一氏が隣のスタジオに入っていて、当社の名前を見て声を掛けてくれた。丁度次のマスタリングのスタジオをどうするか相談していたので、東氏に聞いてみると、クラウンのスタジオとそこの間部さんというエンジニアが良いですよとアドヴァイスしてくれ、直ぐに連絡を取り決定。後日ギラと竹中そして僕でマスタリングに望んだが、素晴らしい。これまでのマスタリングのなかで、これほど納得できることはなく、全員大満足。
 
 ビジュアル関係は前作と同じチームで、カメラマンの鈴木敏也氏、デザイナーの織田一良氏、ヘアーメイクの松尾由紀子さん。今週頭にジャケットの表紙のデザインが決まり、なかなか良い感じに仕上がりました。

 9/21のリリースに向け、都内各地、広島、九州、関西、中部のツアーも組めて、今やリリースを待つのみ。みなさん乞うご期待です!

収録曲
01. Closet(作詞:ギラ・ジルカ/作曲:竹中俊二) 02. I Love You Madly 03. One Note Samba
04. Round Midnihgt 05. Appearance(作詞:ギラ・ジルカ/作曲:南博) 06. Drinkin’ My Tea(作詞・作曲:ギラ・ジルカ) 07. Open Arms 08. More(作詞・作曲:ギラ・ジルカ) 09. Perfect Situation(作詞・作曲:ギラ・ジルカ) 10. I Feel The Earth Move 11. The Island 12. Fly Me To The Moon

参加ミュージシャン
○ギラ・ジルカ : ヴォーカル/コーラス ○竹中俊二 : ギター/プログラミング. ○中島徹 : ピアノ/トロンボーン/メロディオン
○コモブチキイチロウ : アコースティック・ベース ○岡部洋一 : パーカッション
- ゲスト・ミュージシャン - ○南博 : ピアノ(M5) ○矢幅歩 : ヴォーカル(M6)

2011年7月12日 三田

2011年2月10日木曜日

桜庵 蕎麦セッション vol.2

















2011.2.1 桜庵蕎麦セッションvol.2

昨年7月の「桜庵蕎麦セッション」が大好評で次なる開催が望まれていたが、今回第2回目を開催することができた。
今回のスペシャルゲストは、サックス奏者の坂田明さん、昨年に続いて参加の民謡の木津茂理さん、木津さんのCDにも参加してくれた箏の渡邊香澄さん、そして沖縄民謡の大島保克さん、更に歌手で蕎麦マニアのやはり2度目の参加の高遠彩子さん、そしてスペシャ・スペシャルゲストに、映画監督の大林宣彦さんと奥様恭子さん、娘さんの千茱萸(チグミ)さんとご主人で漫画家の森泉岳士さん。
それに東京での尾道サポータの会の会長を務める日谷潔さんと私の妻の久美子の総勢12名。
迎える桜庵組は、尾道の高校の同級生である庵主新田郷くんと奥様の啓子さん、啓子さんのお姉さまの悦子さん、蕎麦指南役の海野哲寿さんと奥様のゆうこさん、助っ人の又木祐治さん。そして本屋敷オーナーの啓子さんのお父様。

昨年初めてこの蕎麦セッションを開催した経緯は本COLUMの2010年8月に記載しているのでご参照願いたいが、今回は「次は是非坂田さんにも食べてもらいたいね。」という話しから始まった。
その頃たまたま日谷氏を通じて大林千茱萸さんと知り合い、下高井戸の蕎麦屋でご一緒した際にこの蕎麦セッションにお誘いしたところ、
「坂田さんがいらっしゃるなら父も誘ってみようかな。坂田さんに会いたがっていたので。」
というお話し。
それは是非是非、ということで監督も参加していただけることになった。

庵主の提案で、今回は地方地方の銘柄の蕎麦の食べ比べを中心にしたいということとなった。
まずは前菜としてお姉さまの悦子さん手製のお料理から。
花ワサビ、うどのおひたし、コゴミなど山菜の天ぷらや和え物など次々と嬉しいメニューが続く。
ひとつひとつが、このあといただく5種の蕎麦の邪魔をしないように配慮された繊細なものばかり。しかも食材の殆どが庵主の畑で採れたもの。
最高に美味しいサイド・メニューでした。

その間に、蕎麦刺しがなかなか良い食感で、今日も期待できるという予感が走る。
そして桜庵初の蕎麦寿し。
一夜漬けで勉強したとの話だったが、なかなかのお味。
ほんのりした甘さが蕎麦の新たな楽しみを作ってくれた。
隣の大林監督は、もう「うまい、うまい。」の連発。

この頃になると初顔合わせの人も含めて、みなさんすっかり打ち解けて、大林・坂田の大御所二人の駄洒落が出まくる。

まずはビールで乾杯し、日本酒、焼酎、ワインとお酒も弾む。
大林監督、日谷氏、そして庵主も僕も尾道出身。そして坂田さんの奥様も尾道ということで、同じ広島の竹原産の「小笹屋 竹鶴 大和雄町」がまた良い感じ。
蕎麦不毛の尾道に最近出来た本格的蕎麦屋さん推薦のお酒ということで、義姉からもらいすっかりファンになったのだが、ここでも大好評。

そうしていよいよ本日のメイン・テーマ5種の蕎麦の食べ比べに突入。
まずは、「茨城の常陸秋そば」。
数日前に新田家に立ち寄ったときにお土産でくれたのと同じだが、この蕎麦は本当に美味い。味も香りも強く深く僕好み。
そして「北海道/きたわせ」、「福島/会津のかおり」、「福井/越前ざいらい」、「山形/出羽かおり」と続き、それぞれの味わいにやられっぱなし。これまで経験したことがない蕎麦三昧に興奮せざるを得ない。
それぞれの蕎麦の薀蓄は、蕎麦オタクの高遠さんのブログ、
http://ayakotakato.seesaa.net/article/184323471.html
に素晴らしい表現で掲載されているので、そちらに譲った方が賢明でしょう。

最後は、蕎麦がきに餡子をのせたスイーツ。
これまたお初のメニューで、この蕎麦づくしを締めるには最適。
なんという幸せ。














お腹もすっかり満たされた頃、大島さんが手元にあった三味線を奏ではじめると、茂理ちゃんと香澄ちゃんが太鼓や箏を準備し始めた。
まずは茂理ちゃんの唄と太鼓と香澄ちゃんの箏の演奏で我がレーベルからのアルバム『Japanese Voice』から「さらさら」と「竹田の子守唄」2曲。
次は大島さんが沖縄民謡を披露してくれ、更に木津、渡邊が加わり大島さんオリジナルのヒット曲「流星」。
今日は楽器のない坂田さんは、やはり広島民謡「音頭の舟歌」で渾身の熱唱。
2008年に坂田さん、木津さん、それに前回参加の澤田勝秋師匠とでヨーロッパをツアーしたときにもステージで披露し、正調の民謡ではない坂田流の民謡に心を打たれたものだ。
そして再び木津、渡邊、大島の三人に高遠が加わり「コキリコ節」。
味覚に続いて聴覚も贅沢三昧です。

最後はお決まり、「東京花笠音頭」で全員立ち上がり踊りまくる。
そしてアンコールに木津さんと高遠さんのそれぞれの独唱で大締め。
みなさん大満足の笑顔、笑顔でした。

もうこうなったら、この蕎麦セッションは続けていくしかないだろう。
桜庵の方々、宜しくです。

2011.2.9 三田

2011年1月29日土曜日

古澤良治郎さんが逝ってしまった。



昨日(2011.1.16)、古澤さんの告別式に行ってきました。
一昨日は山下洋輔さんのコンサートがあってお通夜には行けませんでしたが、お通夜組(彰太さん、大徳さん、知己さん、廣木、石渡、GAMO、川村さん、怪物さん、鈴木君など)と新宿で合流して追悼会になりました。
葬儀の会場はなんとも古澤さんらしくない立派な会場でしたが、参列者も多くなかなか心温まる古澤さんらしい良い告別式となりました。

古澤さんは、ジャムライスに入ったばかりの僕をとても可愛がってくれました。
当時僕は、山下さんや向井さんのみならず、そのサイドメンのそれぞれのリーダーバンドの全てをブッキングしていましたが、現場に必ず同行していたのが、向井バンドと古澤バンドでした。
その両方のドラムが古澤さんでしたから、一番接触が多い人でした。

その頃僕は国分寺に住んでいましたので、古澤さんはよく「三田、乗ってけよ!」と言って西荻まで車に乗せてくれました。新宿などからは最初から電車に乗った方が早いのですが、どうも話をしたいようで、乗ってけ、乗ってけと誘ってくれ、そして、いろんなミュージシャンや音楽のこと事務所のこと、愚痴やら含めていろんな話をしてくれたものです。

僕がライブハウスで初めてミュージシャンからお金を貰ったのは、古澤さんからでした。ある日、5人のミュージシャンなのにギャラを6等分していて、「三田、これお前の分。」と言って渡してくれました。
千円札が含まれていたかどうか記憶にありませんが、貧乏でしたから有難かったのはようく覚えています。

また、ミュージシャンで最初に呑みに連れて行ってくれたのも古澤さんでした。
六平さんとかにはいろいろと呑みに連れて行ってもらう機会は多かったのですが、ミュージシャンからというのは初めてでした。
古澤さんから「今日は俺がおごるから、行こう。」と言われ、確か新宿の「タロー」の後に花園神社の近くの小さな呑み屋に行ったのを覚えています。

古澤さんがジャムライスを離れ、また僕自身もジャムライスを辞めてから、川村さんに頼まれてリー・オスカーのプロジェクトを手伝っていたことがあります。
その一環で、「WAR」を呼び向井=古澤バンドとコンサート・ツアーをしたのですが、名古屋のコンサートの後、いつもお世話になっているジャズ・ライブハウス「ラブリー」で打ち上げしていたときに、ひょんなことから僕と古澤さんが言い合いになり、それこそ胸倉をつかみ合うような大喧嘩になってしまったのですが、でもその後引きずることなく、会えば普通に声を掛けてくれました。

そのひょんなことというのは…
WARのバンドのSAX奏者が実は根っからのジャズ・ミュージシャンで、打ち上げでのジャム・セッションでジャズを演奏できるのがもう嬉しくて嬉しくて仕方ないって感じで、アドリブしまくってました。
勿論ドラムは古澤さん。
当時殆ど4ビートを叩くことがなかった古澤さんが実に素晴らしく、こんなにジャズが上手かったっけ?と思い、僕が周りのみんなに、古澤さんの4ビート最高ですねえ、なんてワイワイ言っていたんですが、それを例によってシンバルの隙間から客席を観察していた古澤さんが、なんか自分の悪口を言っていると勘違いしたらしく、終わってから不機嫌な顔をして
「また、俺をバカにして、何やかや言ってたんだろう。」
とか言い出し、挙句に
「お前ら、みんなリーだのWARだのばかり言って、俺たちなんかどうでも良いんだよな。」
とか言っていじけだす始末。
カチンときた僕が、
「何言ってんですか、リーだのWARだの呼んでこうやっているのも、みんな古澤さんのために頑張ってるんじゃないですか!」
と言い放って、段々とエスカレートしてしまったんです。

古澤さんは決して上手いドラマーではなかったと思いますが、じっと聞いていると味わい深いドラムで、ソロなどは他のどんなドラマーよりもメロディーが浮かんでくるドラミングでした。また多くのミュージシャンからも慕われるその音楽性は、古澤さんの人間性そのものでしたね。

ホント面倒くさい人でしたが、なにか恨めない面白い人でした。

2011.1.17
三田晴夫