2002年12月9日月曜日

2002/12/09(月曜)

sawada

12月9日月曜日。東京に初雪。

そう言えば何年か前に大雪が降った時、打ち合わせの相手を渋谷で待っていたのだが、向うからのアポにも拘わらず、交通手段がままならないとの ことで、あっさりNGを喰らわされた。こっちだって必死に来たんだぜぇっと、ふざけ野郎に怒りを感じながらも、帰るのがあまりにも悔しいので、なにとはな く、人通りの無い渋谷の街から代々木公園の散策に行ってみた。まぁビックリ!居るのは外人と犬だけ。なんとも不思議な光景。ちなみにその日はマライア・ キャリーがプロモーション来日をしていたのだが、寒いからイヤってなもんで、殆んどのスケジュールがキャンセルになったとか。そんなことを思い出した。

で、だっ!今朝は7時からPCに向かって、とあるライヴのチケット争奪戦に臨んでいた。モノはB.スプリングスティーンのオーストラリア公 演。物好き、悪趣味なぞと言われようとも、Eストリート・バンドを引提げてのツアーとくれば、見てみたい。やっぱり英語圏で見たい。来日懇願も良いが(私 も署名しております。ソニーさん。)どうしても英語圏だ。だって彼は英語で歌って話すからだ。じゃあ、なんでオーストラリアか?気が付いたら既にツアーは 始まっていて、しかも全米&イギリスではfin.の状態。(多分、来年もやるんだろうけど。)ゲーっとか思っていたら、オセアニア公演決定の情報をゲット したので、だめもとでチケット奪取に乗り出したわけである。

海外コンサートのチケット手配という会社のHPを見たのだが、手数料というのが気に入らず(下手するとチケットの値段よりも高かったりす る。)、オーストラリアの音楽サイトをチェックしてみたところ、あった!あった!!そこのメンバーに登録(因みにタダ)し、希望のイベントにアクセスして クレジット・カードの番号を叩き込む。受理されれば、5分とたたない内に添付ファイルでチケットが...。後はプリント・アウトして、当日会場へ GO!!!盗まれてもIDと、そのクレジット・カードがあれば大丈夫だって...。しかもオーストラリアに住もうが住まぬが、アクセスする当事者の大体の 所在がはっきりしていれば良いらしい。12月9日の現地時間9時からの発売ということであるから、時差2時間を考え、7時にアクセスしてみた私。チケット ぴあでも、まともに繋がったことが無いなので、期待せずであったのだが、どういうわけか一発でHPにたどり着き、ホントに来ました。チケットが。しかも舞 台正面、最前列らしい。かぶりついてヤル~。晩夏のシドニーに行ってヤル~。ということで改めて凄い世の中になりましたねぇ。

光陰矢の如し(?)という話でした。3月後半休みます。三田さん。

2002年12月1日日曜日

箏奏者

mita

今朝、いつものように我が家の馬鹿犬テリーを連れて多磨墓地を散歩していた。
この辺りは何度も通っているはずだが、たまたま大きくて立派なお墓が目に留まったので何気なく見ていた。すると、65才くらいと見られる初老のおばさんが何となくこちらを見ている。
立派なお墓にはあまり似合っていない決して小奇麗とは言い難いお婆さんだ(ごめんなさい)。

見られている気がしたので足を止めると、そのおばさんはつとつとと1歩2歩近寄ってきた。そして、「この犬はなんて云う種類ですか?」と話しかけてきた。「ワイヤー・ヘヤード・フォックス・テリアといいます。」と答え、しとしきり犬の話題を交わした。
我が家のテリーは馬鹿犬ではあるが、容姿はなかなかのものでこういうふうに声を掛けられることは珍しいことではない。
そろそろと思い、帰り際
「随分、立派なお墓ですね。」
というと、
「はい、ヨネカワ……、の墓です。」
「ヨネ……?」
「はい、米川文子です。」
と、知っていて当然という風にきっぱりとそのお方は答えた。
名前に聞き覚えのない僕は
「どんな方なんですか?」
と聞くとおばさんはすかさず、
「人間国宝です。」
「な、何をなさる方なんですか?」
「筝曲です。」
「ソ、ソウキョク??」
「そうです。琴ですね。」

どうやら、この米川文子という人は琴の名手として知られた人で、このおばさんはその娘に当たり、自分も第2代の琴奏者としていまだ現役であるらしい。
さらに、この会話の間に、両手にバケツいっぱいの水を汲んで帰ってきたこの人の娘も琴をやっているということが解った。

様々なミュージシャンと親交がある僕も琴奏者に知り合いはなかった。
自分も音楽関係の仕事をしているので、いつか一緒にお仕事ができることを、と挨拶をして別れた。

家に帰ってインターネットで『米川文子』と検索してみると、165件も出てきた。
なかなかの方であるらしい。
多磨墓地には大きくて立派な墓が数多くあるが、僕が知っているのはほんの一握り。
ウチのカミサンなんかは、幼少の頃からここをお庭のようにして遊んでいたので結構有名な墓は知っているらしいが、それでも、こんな方のお墓までは知るまい。
そのうち、多磨墓地の著名な人のお墓巡りができたらと思うが、どうやって調べれば良いのだろう。
詳しい方がいたら、教えて下さい。

2002年11月13日水曜日

2002/11/13(水曜)

sawada

先日、私が師と仰ぐ人間の1人が旅立たれてしまった。
TVやラジオ、雑誌をはじめ、あらゆるメディアで活躍されていた方なのであるが、この業界に身を置いた理由はただ一つ。ビートルズに逢いたかった。

それだけのことなのだそうである。

といってもビートルズはとっくに解散していたので、正しくはあの4人に逢うということなのだが、仕事という切り札で、ポールにもジョージにもリンゴにも面することに成功。しかしジョンは凶弾に倒れ...ということで、望みをまっとうすることは出来なかった。

ハズ!なのだが、氏の解釈としてはジョンにも逢えたことになっている。というのもジョンに関する原稿をいっぱい書いたりとか、ジョンにまつわる様々な人達に出逢えたりとかということで、オッケーじゃんということになっている。

「がんばったって出来ねぇことなんか山程あんだからよぉっ。」っていうのが、その話の末尾に来た。私に“適当”の教えを説いてくれた。(もちろんそれだけではないが。)

最近リリースされた、ジョン・レノンのリマスターリングもののライナーに目を落とした時、氏の名前もクレジットされていた。元気かなって、電話をしようと思っていた矢先に訃報が届いた。とってもショックで、とっても悲しかったのだが、不思議と涙は出なかった。

2002年10月22日火曜日

松茸くわにゃー

mita

10月14日の体育の日、僕は何故か岡山の高梁市にいました。
ジャズ・サック ス奏者の坂田明さん、イラストライターの南伸坊さん、エッセイストの阿川佐和子さん3名のトーク・ショー「備中高梁・たらふく会議」(松茸くわにゃー)と いうイベントのお手伝いです。食をテーマにしたトーク・ショーに何故僕がお手伝いをしているかというと、僕はCM音楽プロデューサーになる以前ジャズ関係 の仕事をしていて、今回のスタッフとはその頃からの付き合いがあり、坂田さんとも親交があります。今回僕を誘ってくれた同行スタッフは、林泉の渡邊さん、sept1の藤沢さん。どちらも旧いお付き合いです。

「まあどうせ暇なご時世だし、休日で仕事には影響もないだろう。」「たまには東京を離れてビータ(旅のことです)しようよ。松茸もたらふく喰えるぞ。」というオイシイ誘いに乗って、スタッフに加えてもらったのです。

岡山といえば広島にも近い、今回のイベントのリーダー格の坂田さんは広島生まれ、ということで広島は尾道育ちの僕は坂田さんや現地の方達と東京スタッフとの 通訳にもなるだろうなんていう魂胆もあったかもしれません。(実際、高梁市の言葉は殆ど尾道弁に近かったんです。)

折角僕が参加するなら何か面白い趣向ということで、影MCとして『かとうけんそう』さんの声を予め収録し当日使わせて頂く事になりました。かとうさんは現地には行けなかったものの、すっかり楽しんで収録に望んで頂きました。おまけにご自分デザインのこんな素敵なキャラまで考えて頂きました。

 奇遇だったのは、イベント終了後ホールのロビーで尾道北高の友人河野くんに会った事です。しかも彼はこのイベントの責任者のトップだったらしく、周りの関係者が、「ええ!河野さんと知り合いだったんですか?」と驚くことしきり。いやー、一番驚いたのは我々二人で、高校卒業以来初めての再会がこの高梁市で、互いにこのイベントの関係者としてとは。

何はともあれ、前夜祭の酒盛りでは不作のなか沢山の松茸や川蟹を振舞っていただき、当日のイベントも楽しいトーク・ショーとなり、久しぶりのビータを満喫させてもらいました。たまにゃあ、ビータせにゃー!