2006.5.18~25
2005年2月頃、橋本一子さんとアルバムを作ろうという計画をしていたときに、同時に海外での活動を目指したいというのは両者の共通の目標だった。 そしてその年10月からのレコーディングを控えた9月下旬の或る日、突然嘗て当社に所属していた渡辺圭介君からメールを貰った。
彼は当社を退社した後ドイツに渡っていたのだが、なんと6月にデュッセルドルフの総領事館に就職していて、そこで毎年行われる「日本デー」に日本からアーティストを呼びたいのだが協力して欲しいという話だった。
正に渡りに船。早速、橋本一子のグループはどうかと折衝し、橋本一子Ub-X(橋本一子(P)、井野信義(B)、藤本敦夫(Ds))の出演が決定。他 にケルンとベルリンでも公演が決まった。ケルンでは八木美知依さん(箏)、デュッセルドルフでは更に白河直子さん(ダンス)も加わるという形でのドイツ・ ツアーは、上記出演者に加えマーク・ラパポートさんと当社から三田晴夫、中村満幸という総勢8名。
5月18日:ケルン到着後早速文化会館の方達と夕食会。美味しいイタリアンでした。
5月19日:ケルン日本文化会館では当日は予定していなかった白河さんが飛び入りで参加して下さり、まずはお披露目。予算の都合で音響エンジニアを同 行しなかったのが祟って、なかなか思うようなサウンドにならず、ややフラストレーションがたまり気味。休憩を挟み2部からはなんとか持ち直し無事終了。会 館での打ち上げ後、チャーターバスでデュッセルドルフへ。
5月20日:前日から話は出ていたが、なんとこの時期ドイツでは珍しい台風来襲。朝の10時には中止の決定。メンバー、スタッフ共声も出ない状態。
同じく日本から駆け付けた円道一世さんのグループはデュッセルドルフのためだけにドイツ入りしたとの事で、なんともやりきれない様子。我々は前夜ケル ンの公演があり、Ub-Xと三田の4名はその後ベルリンのライブも入っていたのでまだ良かったとは云うものの、諦めきれない気持ちは同じこと。 一部のメンバーは降ったり止んだりの天気の中、床のみが残されているステージと折畳まれた模擬店用のテントとを尻目に、これだったらやれるんじゃない!と 何度も言ってみるものの、中止の事実は変わらない。実際雨はまだしも、時々強い風が吹き抜ける。
5月21日:昼食に総領事館の招きでドイツ料理をご馳走になった。美味しい料理を楽しませてもらったものの、どうしても残念会的な雰囲気で今ひとつ盛り上がらず。
その夜はデュッセルドルフから程近いヴッパタールという街を拠点にしているダンス・カンパニー、ビナ・バウシュの舞踊団の公演がその本拠地であり、全 員で鑑賞する。今回のUb-Xのベルリンでのライブのコーディネイトをやってくださった青木淑子さんが、たまたまビナ・バウシュや団員の人たちと懇意で、 僕自身ファンであった事、そして今回はダンサーの白河さんも同行しているということで、みんなで行くことになった次第。
5月22日:Ub-Xと三田の4名はベルリンに向かい、他のメンバーは帰国の途に。その夜早速、B-flatというライブハウスでの公演。ドイツでは CDの発売も無くなかなか集客は難しかったものの、演奏は素晴らしく、少ない観客の中にはかなり良い感じのノリをしている人も。お客さんの反応が正直と言 われるドイツで、この人数としては良いムードにメンバーも気を良くした様子。最後に溜飲を下げた形で大満足でした。
5月23日:この日はオフで、ベルリンで活躍しているジャズ・ピアニスト高瀬アキさんのお宅にお呼ばれ。体調を崩してホテル待機になった藤本氏を残し 三人で伺った。アキさんとは三者三様、それぞれお付き合いもあり、ドイツでの競演も多かった井野さんは兎も角として、一子さんと僕は本当に懐かしさで一 杯。アキさんはこの日まで自分のバンドのツアーがあり急遽戻って頂いたこともあり、ご主人のドイツ・ジャズ界の大御所でピアニストのシュリッペン・バッハ さんが手料理を作ってくださった。お母様の故郷ハンガリーの田舎料理、ハンガリアン・グーラッシュという牛肉の煮込みにジャガイモをすり潰して野球のボー ルほどの団子にしたものを入れた物。これはホント美味しかったです(ドイツ・ツアーでNo.1でした)。
5月24日:ベルリンを出発、帰国の途に。
ケルンの日本文化会館の方々、デュッセルドルフの総領事館の方々、ベルリンのコーディネイトばかりかビナ・バウシュのチケットまで手配して頂いた青木 淑子さん、お忙しい中最高の御もてなしをして下さった高瀬アキさんとシュリッペン・バッハさん、そしてこのツアーの切っ掛けを作ってくれて、現地でも様々 な難題に対処してくれた渡辺君と奥様のアンドレアさん、本当に有難うございました。
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